2015年11月22日日曜日

【第五十三回】伊達市霊山から相馬市松川浦、そして中村城跡




 こちらも3年前のエントリ…。

 もともとイザブログに載せていた記事だけど、2014年末にブログサービスが終了したため、それまで記していた当時の思いや、せっかく調べたことを失うのがもったいなく、Bloggerに移行しようと考えた。
 が、移行している間に世の中の様々なデータが更新され、紹介したリンク先も変わったりして、それを調べるのもまた面倒で、2〜3更新しては飽き、寝かせたまま月日が経つこともしばしば…。
 まぁ、気長にお付き合いください。



 2012年11月25日。
 秋の終わりが迫っていた。




 祖父が残したカイドウリンゴが、たわわに実っている。




 鳥たちが突いた木守柿。


 海を見に行こうと思い立った。




 国道399号線を東に走り、保原に入った。
 町中を抜けて、国道349号線に出る。

 道は霊山掛田で国道115号線と交わり、左折。
 霊山(りょうぜん)の頂を目指して走った。




 霊山が間近に見えてくる…。

 【第五十一回】秋の霊山ハイキング
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2015/11/blog-post_13.html




 霊山は、福島県伊達市と相馬市の境にそびえる標高825メートルの山。
 国の名勝、日本百景、うつくしま百名山に指定されている。
 また、南北朝時代の重要な城跡遺構として国の史跡にも指定されている。




 霊山(福島県) - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/霊山_(福島県)

 福島盆地から見た台形の山は、いつもの東の景観として住民の日常に融け込んでいる。




 相馬市に入ると国道115号線の右側に、宇田川がつかず離れず併走する。
 途中、右折して宇田川に架かる橋を渡り、県道270号線に入った。





 林の向こうに立ち上る煙は、相馬共同火力新地発電所。

 常磐自動車道の下を潜り、しばらく走ると県道34号線と交わる。
 右折して、県道34号線を南へ向かった。

 丘を越えて、北目地区に入ったところで左折。




 JR常磐線の踏切を渡り、前方に幟がはためくのが見えてくる。




 道の駅 そうま
 https://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/mitinoeki.html

 【第四十六回】相馬の海と塩浜ラーメン
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_16.html






 11時50分、目当ての水ダコを購入。
 塩茹でしてあり、夏に食べたのが旨かった。

 相馬あられを東京土産に購入…。

 相馬あられ本舗
 http://item.rakuten.co.jp/kuroshionoriten/10000536/




 国道6号線に出て、「道の駅入口」の信号機を右折。
 松川浦方面に向かった。













 町場川を渡り県道271号線を右へ。
 県道74号線に突き当たるまで、東へ進む。


 左折して、北上。
 県道74号線から阿武隈山地の方角を眺める。
 波を被った土地は、一面の荒野であった。


 大師前の交差点で右折し、さらに北上。
 右手に松川浦が横たわり、その奥に外海との堺の防潮堤兼道路が見えるが、所々で決壊している。


 福島県は原発事故ばかりが注目されるが、東日本大震災による死者は1,606人。
 行方不明は211人(平成24年10月24日現在)。
 震災関連死は1,121人(平成24年9月30日現在)である。

 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置|警察庁緊急災害警備本部
 http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf

 東日本大震災における震災関連死の死者数(都道府県別)|復興庁
 http://www.reconstruction.go.jp/topics/20121102_sinsaikanrensi.pdf

 こうした事実に思いを寄せず、反原発を騒ぐことには、鼻白む思いがする。




 相馬共同火力発電株式会社|新地発電所
 http://www.somakyoka.co.jp/




 原釜尾浜海水浴場|相馬市
 http://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/kaisuiyoku.html






 【第二十七回】相馬 原釜尾浜海水浴場と松川浦
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2013/11/blog-post_8563.html






 相馬原釜卸売市場には、未だ津波の傷跡が残っていた。

 福島の魚介、まずタコとカイ|日本経済新聞
 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO43000240W2A620C1000000/





 松川浦大橋
 http://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/spot/10oohasi.html


 この橋を渡ったところが大洲海岸である。

 【第二回】相馬・鵜ノ尾岬と大洲海岸
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2013/10/blog-post_23.html


 松川浦港から県道38号線に出、県道375号線にぶつかる手前に「復興丼」の幟があった。
 新しい感じの店だったが、入ってみることにした。






 12時40分、昼餉にほっきご飯定食を食す。
 丼、昆布と野菜の煮付け、ワカメとシメジのお吸い物、お新香。
 デザートにコーヒーゼリーが付いて1,050円なり。
 大変に美味であった。

 勘定を払う際にそれとなく尋ねたら、以前は別なところで営んでいたとか。
 店は津波に流されたが、ようやくこの地で営業を再開できるようになったという。





 【相馬市】松川浦復興チャレンジ丼「旭亭」
 http://yumesoso.jp/yutadosa/archives/5489.html

 相馬市松川浦観光振興グループ|旭亭
 http://matsukawaura.com/asahitei.html

 「どこから来られたのですか?」と尋ねられ、伊達からと答えた。
 「お互いに頑張りましょう」といって、店を出た。

 多くの方に、ぜひ食べに行って欲しいと思う…。




 今は静かな松川浦。
 地盤沈下によって、海面と県道38号線の道路面との差はあまりない。





 相馬バイパスと国道6号線を突っ切り、JR常磐線上に架かる陸橋を渡って、中村城跡に向かった。






 福島県相馬市 相馬の歴史 県指定史跡中村城跡
 http://www.city.soma.fukushima.jp/rekisi/nakamura/index.html




 相馬家代々の氏神である相馬中村神社。

 相馬中村神社
 http://www.somanakamurajinjya.or.jp/index.htm








 本丸南側搦め手口にかかっている木橋を渡り、入城した。
 相馬神社は中村城の本丸跡に建つ。






 相馬氏は、戦国時代に度々伊達氏と戦を交えた。
 江戸時代に相馬中村藩となってもしたたかに生き、明治の戊辰戦争終結まで長きにわたってこの地を治めた。




 福島県相馬市 相馬の歴史 歴史講座
 http://www.city.soma.fukushima.jp/rekisi/kouza/2007/200705.html










 城郭の周囲は、晩秋の風光に彩られていた。

 福島県相馬市 相馬の歴史 相馬の歴史を今に
 http://www.city.soma.fukushima.jp/rekisi/history_digest.html




 13時50分、国道115号線に戻り、伊達への帰路につく。

 途中、霊山の麓には、人々を惹きつけるアイスクリームがある。
 飯館村に接する店舗付近は、当時放射線の空間線量率が高いことが知られていたが、旨いアイス求めて客足は絶えなかった。
 国道115号線から見える行列であきらめた時もあったほどだ。
 ※現在は、0.21マイクロシーベルト/時で安定している。(2015年11月22日8時測定)




 14時25分、胡麻ソフトクリームを購入。
 今日も、代わる代わるお客が訪れていた。




 まきばのジャージー
 http://tabelog.com/fukushima/A0701/A070102/7000033/




 14時50分、保原に入った。
 吾妻連峰が、日射しにうっすらと稜線を浮かべていた。




 夕餉には早速、水ダコの刺身を…。






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