【 福 島 の 風 光 】
 郷里である伊達市(旧伊達町)を中心に、風光明媚な福島を紹介します。
伊達市は福島県中通り、県北に位置し、海に山に車で一時間程のロケーション。
吾妻連峰、相馬、会津、宮城県南部、山形県南部が行動範囲。
訪れた地域の食や伝統文化、郷土史にも触れられたらと思います。

2014年2月26日水曜日

【第三十八回】東京都・赤坂から葛飾へ 長い一日



 2010年5月28日の風光を最後に更新が止まっていた。
 「来てよ その日を 飛び越えて」


 6月8日に伊達を発ち、葛飾に戻った。
 10月26日から赤坂に仕官が決まり、身辺慌ただしく、その年は伊達には帰らなかった。




 明けて2011年、正月も帰省はしなかった。
 その代わりに伊達より餅が届いた。




 2011年3月11日。


 ※以下のツイッターアカウントは現在停止中。




 伊達に電話が通じない…。



 交通機関は麻痺状態。
 待っていても仕方がないので、19時半に赤坂を出立。
 銀座経由で帰ることにした。

 溜池交差点から外堀通りを虎ノ門に出、桜田通りを霞ヶ関へ。
 周辺は帰宅の足を奪われた人々で騒然としていた。



 途中、ABC MARTで靴を調達。
 革靴を履いていて、長距離は踝下側の皮膚が無理そうだった。
 皆、考えることは同じで、新しいウォーキングシューズを履いたままレジに列ぶ客多数。

 ABC MART
 http://www.abc-mart.com/index.html



 湊の焼鳥屋「鳥福」に寄り、気付けに酒を飲んでから帰ろうと思って店の前まで行った。
 が、店内は同じ帰宅難民の避難場所になっており、あきらめて帰ることにした。

 やきとり鳥福
 https://www.facebook.com/Minato.Yakitori.Torifuku


 鳥福から人形町駅までは、勝手知ったる酔い覚ましの道。
 鉄砲洲稲荷公園を横切り、八丁堀交差点に出、新大橋通りを歩く。
 道路は大渋滞。
 歩道もそれぞれの住処に戻る人が行き来する。
 日比谷線の上を茅場町駅、人形町駅と歩いた。
 どこかは忘れたが、屋根が崩れている古い民家を目にし、落下した瓦をカラーコーンが囲んでいた。

 人形町からは東日本橋駅へ、都営浅草線ルートをたどる。
 要所では、役所の人だろうか、地図を配っていた。

 靖國通りに出、葛飾に帰るに際して隅田川、荒川、中川と三本の川を渡るため、その様子が知りたくなり、柳橋に寄り道した。
 神田川に隅田川からの流れが逆流し、もやってある屋形船が揺れていた。
 これも津波の影響か?




 柳橋から浅草橋駅へ。
 JR総武線も都営浅草線も動く気配がない。
 覚悟を決めて、江戸通りを浅草方向に歩く。

 駒形橋で隅田川を渡り、建設中の業平橋タワーは無事のようだった。







 浅草通りを歩き、本所吾妻橋駅で左折。
 橋を渡って、東武線の下を潜り、言問橋東詰に出る。
 ここからは国道6号線、水戸街道を真っ直ぐだ。

 それにしても、歩道が溢れんばかりの歩行者大渋滞など初めてだ。
 途中のコンビニも人だかりで、水戸街道沿いの人口が一挙に増えた。
 皆、千葉方面へと向かうのだろうか…。



 中川を渡り、亀有警察署前を抜ける。
 JR貨物線の踏切を渡ればもう少し。
 万が一のために無理にでも腹を満たしておこうと、葛飾新宿郵便局の斜向かいにある24時間営業の「ジョナサン」の階段を駆け上がったら、「食材切れのため本日閉店」の張り紙が…。

 ファミリーレストラン「ジョナサン」
 http://www.skylark.co.jp/jonathan/


 23時45分に住処にたどり着いた。



 伊達の実家とも連絡が取れ、無事を確認。
 家は停電していたが、電源不要の黒電話はいち早く復旧したようだ。

 間隔を置いて何度か電話をかけて、それがある時点から話し中に変わり、ホッとする。
 しかし、話し中が長きに亘ったから、受話器が外れたままなのかと不安も過ぎった。

 結局、いつもの長電話であった。






 起きたら何事もなかったように元通りになっていればいいと思いつつ、長い一日を終えた。