【 福 島 の 風 光 】
 郷里である伊達市(旧伊達町)を中心に、風光明媚な福島を紹介します。
伊達市は福島県中通り、県北に位置し、海に山に車で一時間程のロケーション。
吾妻連峰、相馬、会津、宮城県南部、山形県南部が行動範囲。
訪れた地域の食や伝統文化、郷土史にも触れられたらと思います。

2014年3月9日日曜日

【第四十二回】福島の秋〜白河、西郷村から南会津、大内宿〜







 2011年11月2日。
 北へ…。




 茄子の味噌和えをつまみつつ、旨い酒を飲んだ。




 2011年11月3日。
 秋の大内宿に出かけようと、東北自動車道を南下した。
 当時は東日本大震災を踏まえ、被災者及び原発事故による避難者は、被災証明書等の呈示によって高速道路料金が無料となる期間限定制度が継続中だった。
 本来なら避難住民の往来や物資の輸送に役立てるものだけど、観光地を巡って消費をするのも重要な復興支援と考えて利用した。




 路面は所々で波打ち、補修中だった。


 白河中央スマートICで国道4号線に下りる。

 白河は古くより交通の要衝で、奈良時代から平安時代頃に奥州三古関のひとつに数えられる白河関が設けられ、蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと伝えられる。
 やがて「歌枕」(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地となり、能因や西行、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが多くの歌を残している。
 江戸時代に入ると初代白河藩主・丹羽長重が、4年の歳月を費やして1632年(寛永9)に梯郭式の平山城、小峰城を完成させた。
 以来、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城したが、1868年(慶応4年)戊辰戦争白河口の戦いで落城の憂き目を見る。
 それから約120年の時を経て、1991年(平成3)に三重櫓、1994年(平成6)には前御門が、江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、現在では白河市のシンボルとして親しまれている。

 白河観光物産協会ホームページ
 http://shirakawa315.com


 国道4号線から右折、国道289号線に入り、すぐに西白河郡西郷村となる。
 その先に、座頭ころばし展望台という名勝地がある。

 西郷村観光協会
 http://nishigo-kankou.jp/news/index.php?id=85





 11時10分、座頭ころばし展望台着。

 国道289号線沿いの新甲子温泉に向かう途中にあり、甲子高原の由井ヶ原方面が一望できる。
 標高は約800メートル。
 左端(北西方向)には大白森山(1642m)、鎌房山(1510m)、北の奥に羽鳥湖、権太倉山(976m)を経て丹波楯山(562m)白河市街までの景色を一望にすることができ、眼下には由井ケ原の自然が広がる。
 この辺りが福島県を南北に縦断し、宮城県で太平洋に注ぐ、阿武隈川の源流だ。

 紅葉が見事であった…。
















 途中、林の中を散策しながら、甲子道路(かしどうろ)を行く。

 甲子道路は、国道289号の自動車通行不能区間および狭隘区間であった福島県南会津郡下郷町から福島県西白河郡西郷村までの23.3kmを結ぶ代替路線として建設された道路で、主トンネルである甲子トンネルを含む区間の開通は2008年9月21日。
 国道と称しても、自動車通行不能区間があるなどとは、都会の者にはにわかに信じられないかも知れないが、これによって自動車通行不能区間が解消し、国道としての機能を満たした。
 しかしその分、甲子温泉の秘境的な面影は薄れたともいえ、難しい…。

 甲子道路
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AD%90%E9%81%93%E8%B7%AF

 甲子温泉
 http://nishigo-kankou.jp/onsen/index.php


























 甲子大橋を渡って甲子トンネルを抜ける…。
 南会津郡下郷町に入った。




 道の駅「しもごう」で小休止。











 道の駅「しもごう」
 http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/fukusima/fu17.html

 いで湯と渓谷の里 下郷観光チャンネル
 http://www.town.shimogo.fukushima.jp/kanko/



 国道289号線を下郷町の中心街へ走り、国道121号線とぶつかったら右折。
 湯野上温泉駅を目指した。

 国道121号線沿いの風光は、これまで2度紹介している。

 【第十二回】奥会津・檜枝岐と下郷・大内宿
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2013/10/blog-post_2129.html

 【第二十一回】芦ノ牧温泉から下郷巡り、会津若松・飯森山
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2013/10/blog-post_29.html







 茅葺き屋根が珍しい、会津鉄道「湯野上温泉駅」。

 会津鉄道|湯野上温泉駅
 http://www.aizutetsudo.jp/info/?p=786




 桶には湧き湯が注がれる。




 2013年秋に訪れた際には、駅舎に隣接して足湯施設が作られていた。




 湯野上温泉
 http://www.yunokami.jp/







 湯野上温泉駅を発ち、大内宿へ向かった。
 国道121号線から左折し、県道329号線を行くと、やがて駐車場群が見える。
 このような秘境ともいえる地でも、客が後を断たない。
 まさに観光戦略の勝利だと思う…。






 大内宿
 http://ouchi-juku.com/




 宿場を南北に貫く通りは、日光街道。
















 大内宿の北側の見晴台(湯殿山)には、子安観音へと続く急な石段がある。












 見晴台から宿場を見下ろす眺望も見事だけど、そこよりさらに傾斜をよじ上って眺めるのがおすすめ。
 江戸時代にタイムスリップしたような景観をバックに記念写真を撮る現代人たちの楽しげな姿に、こちらも自然と表情が綻んでいることに気づくはず…。


























 「しんごろう」
 http://www.town.shimogo.fukushima.jp/kanko/recipe/index.html




 これは旨い…。






 13時40分、大内宿を後にし、県道131号線下野街道を行く…。

 下野街道は会津西街道とも呼ばれ、江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された。
 会津若松城下から下野の今市に至る街道。
 会津藩のみならず新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などが参勤交代や江戸と会津以北とを結ぶ物流の道として利用した。
 大内宿は街道の宿場町として、今に残されている。

 下野街道
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%87%8E%E8%A1%97%E9%81%93




 大内ダム
 http://dammania.net/fukusima/oouti.html












 帰りは、会津若松市街を抜けて、磐梯町、猪苗代町を走った。




 国道115号線を走り、箕輪トンネルを抜けた。
 道の駅「つちゆ」で小休止。




 安達太良の山々がみえる。




 道の駅「つちゆ」
 http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/fukusima/fu01.html




 山菜蕎麦を食す。




 17時6分、伊達着。






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