2013年7月4日に記した【特別編】を紹介。
その年の春から夏にかけて放送されたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」を見て、2000年10月に北三陸を巡った時のことを記録に留めたくなってまとめた。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」
http://www1.nhk.or.jp/amachan/index.html
三陸沿岸地域は東日本大震災によって壊滅的な打撃を受け、2000年当時に私が乗ったJR山田線や三陸鉄道北リアス線も、津波によって寸断された。
一泊した宮古の民宿もなくなってしまった。
「あまちゃん」は震災で傷ついた三陸の旅の記憶に、希望と再生を示してくれるストーリーだった。
被災地の復興を心から願って止まない…。
先に「あまちゃん」東京編、ロケ地巡りを紹介しよう。
2013年夏は、通勤でアメ横のそばを通ったため、アメ横センタービルから少し足を伸ばした近辺の「あまちゃん」ロケ地巡りにはまっていた。
(アキの東京の家がある世田谷ロケ地だけは未収録)
アイドルを目指して上京したアキは、上野にあるアメ横女学園へと向う。
アメ横女学園入り口階段(アメ横センタービル)。
潮騒のメモリーズの合方、ユイが来られなくなったと聞かされた水口が「じぇじぇじぇ」となり、アキから渡されたお土産を落とす。
「来たのはカワイイ方?」
「いや、なまっている方」
そういわれる度に、何度も申し訳ない気持になるアキであった。
夏ばっぱが病院に運ばれたことを知ったアキが、動揺しながらも映画「潮騒のメモリー」のリメイク版オーディションに挑む決意を新たにした階段の踊り場。
「母ちゃん、親孝行できなくてごめんなさい」
オーディションの台詞に、アキと春子の思いが重なる…。
アメ横センタービル北側中二階の喫煙所。
この位置からは、潮騒のメモリーズのアキとユイが、アイドルを目指して北三陸から上京する直前にユイの父・足立先生が倒れたため、独りアメ横女学園に向かうアキと、ぐれたユイを立ち直らせた後にアキを支えるために東京に帰ってくる春子が撮られる。
アキは北三陸の土産を含む多くの荷物を持って、春子はキャリーバックひとつで来るという、母娘の対比も面白い。
アキたちGMTのメンバーが暮らす合宿所(まごころ第2女子寮)。
谷中を何度か撮り歩いた私には、大名時計博物館隣のお馴染みの塀。
千代田線根津駅の千駄木側の改札を出、根津小学校前の信号を右折、路地をまっすぐ歩くと三浦坂が崖のように立ちはだかり、急坂を登って左折するとすぐにある。
周囲は閑静な住宅街。
ロケ地巡りといえど、夕暮れ時の住宅地で写真を撮るのは気が引けるので、早々に撤収。
奥の街灯を右に下るのが三浦坂。
おたまおばさんの谷中・根津・千駄木散歩
http://yanesen7.blog105.fc2.com/blog-entry-75.html
手前の電柱の横には「大名時計博物館」の案内がある。
http://burari2161.fc2web.com/daimyoudokei.htm
神田と日本橋の境にあるJRガード下、今川小路。
GMTの遠藤真奈がシャドウを務め上げた打ち上げの日、アキが初めて憧れの女優・鈴鹿ひろ美と出会った寿司屋「無頼鮨」がある。
昭和の場末の酒場的雰囲気を今に残す…。
鈴鹿ひろ美を追いかけ、タクシーの窓越しにアキが握手を求めた西今川橋架道橋。
GMTが初ファンミーティングライブを行った昌平橋。
昌平橋、秋葉原方向。
アキが鈴鹿ひろ美に「あなた女優に向いてないわ」といわれ、失意の内に欄干にもたれかかった場所でもある。
東京に出て来たアキが、屋台の「そば、うどん、まめぶ」の呼び声に惹かれて、あんべちゃんと再開した秋葉原UDX。
後に、アキの初恋の人であり、失恋した人でもある種市先輩とも再会する。
アキたちGMTメンバーが岩手物産展の応援にチラシ配りをするJR御徒町駅南口、パンダ広場。
期間中、上野のデパート展示場の北三陸コーナーでは美味しいウニが食べられたとか。
岩手県物産展を終え、アキとヒロシが別れる上野駅前歩道橋。
アキは東京でユイママを見かけ、男の人と一緒だったことを伝え、「ユイちゃんを傷つけたくなかった」から今まで黙っていたと告げる。
「聞かなかったことにしておくよ」
そういってヒロシは北三陸に帰った。
夜だとドラマとはまた違った雰囲気。
愛宕山トンネル。
GMTをクビになり、母春子が起業し、社長を務めるスリーJプロダクションに所属したものの、なかなか仕事に恵まれないアキ。
その後、太巻のテコ入れもあり、GMTの人気は鰻登りとなる。
遠くに行ってしまったような仲間たちへの思いや、仕事がない不安、悔しさ、再燃した種市先輩への恋心が渦巻いて、情緒不安定気味になったアキは、トンネルに向かって「おら、アイドルになりでぇ!」と叫ぶのだった。
千駄ヶ谷小学校前の交差点。
子ども番組「見つけてこわそう」のレギュラー出演が好評で、学習塾「神技ゼミナール」のキャンペーン広告キャラクターに採用されたアキ。
しかし「受験が恋人!」のコンセプト通り、一年間恋愛禁止の契約であった。
自分がモデルとなった看板広告を眺めていると、子どもたちに取り囲まれる…。
種市先輩への恋心が再点火する中、悶々とした日々を送るアキだった。
「あまちゃん」のロケ地ではないけれど、京成高砂駅南口のイトーヨーカ堂の東側に、純喫茶アイドルがある。
ドラマでは原宿にある設定で、アイドルを目指す若かりし日の春子がバイトをしていた。
スカウト時代の太巻に自分を売り込んだのもこの喫茶店で、鈴鹿ひろ美の影武者計画も練られた。
GMTをクビになったアキもバイトをすることになる…。
さぁ、本編の「三陸の旅 釜石、宮古、浄土ヶ浜、龍泉洞、久慈」を始めよう。
書いたのが一年前なので、それからは少し復興が進み、三陸鉄道北リアス線は全線開通している。
新花巻駅でJR釜石線に乗り、民話の里「遠野」を巡ってから、釜石駅に出る。
そこからJR山田線に乗り換えて、宮古駅に向かう。
宮古の民宿に一泊し、翌朝、浄土ヶ浜を散策後、浄土ヶ浜港から遊覧船に乗り、田老港へ。
田老駅で三陸鉄道北リアス線に乗る。
小本駅でバスに乗り換えて、日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」を探検。
小本駅に戻って北リアス線の終点久慈駅まで行く。
久慈では、琥珀博物館巡りや小久慈焼きの陶芸体験。
最終的には八戸まで行った、無計画、予定変更どんとこいの旅だった。
当時はデジカメを持っておらず、フィルム代がもったいないこともあり、写真点数は少ないけれど…。
今、あらためてWEBで調べ、記録していた文章と薄れかけた記憶とを照らし合わせると、当時の光、温度や空気、匂いまでもが蘇る感じがする。
その年の夏に、不覚にも右足踵を骨折し、歩けない不自由さが嫌というほど身に浸みた後だけに思い出深い。
彼の地はまだ、東日本大震災からの復興にはほど遠い状況にある。
が、もう一度行きたいという思いが募ってきた…。
メモとしてここに備忘します。
なお、電車の時刻等は、当時持ち歩いた携帯時刻表のチェックマークを辿ったもので、現在の時刻とは違うことにご留意ください。
2000年10月10日。
15時42分、ゆっくりとホームが動き出した。
さようなら、遠野駅。
窓の外を田畑が流れる。
薄雲が出てきた。
向かい側のシートには小さな女の子と、お母さんが乗る。
女の子は小さな靴を脱いで、立て膝で外を眺めていた。
動くものや、遠くの方を指し、それにお母さんが答える。
長短のトンネルを潜って、16時16分に陸中大橋駅のホームで花巻行きと待ち合わせ、すれ違った。
日は山々に隠れそうだった。
ここからはもう暗くなるばかり。
街灯が点いていることに気がついた。
16時28分、松倉駅で、岩手県立釜石高校の生徒たちが乗り込んできた。
騒々しくなったので目が冴える。
前の親子はいつの間にやら降りていた。
37分に終点の釜石駅に到着。
ドッと乗客が降りる。
鉄とともに発展して来たこの街も、今ではすべての高炉の火が消え、全国でも有数の水揚げ高を誇る漁業と観光の街として、生まれ変わろうとしている。
ホームから見える景観では、その変化はわからなかった。
釜石市
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/
釜石観光物産協会
http://www16.plala.or.jp/kamaishi-kankou/
反対側に停車中のJR山田線、宮古行きに乗り換えた。
進行方向の左側のシートに座る。
さっきよりも増えた学生たち。
男子と女子とは別れて固まりとなっていた。
16時40分に釜石駅を出発。
振り返ると、窓の外、左下には今まで乗っていたJR釜石線の車両が見え、離れて行った。
車内は喧噪と陽気さに溢れ、あちらこちらから笑い声や手を叩く音、叫び声が響く。
大槌駅着。
「じゃぁねぇ。エミ」
「ジュン子、ガンバってね〜」
静かになったと思ったら、急に後ろの窓が叩かれてビックリ。
「じゃぁねぇ!」
吉里吉里駅ではさらに静まる。
流れる家々の灯り。
台所では晩ごはんの支度がされている時刻だろう。
向かい側の窓の外に海が見えた。
本当はもっと早くから見えていたはずが、混雑のためにわからなかった。
座席を海側へ移動する。
連なるリアス式海岸。
これから宮古駅までは海に沿って進むことになる。
田園、山々、小川を見た後に、大きな海を見るのは不思議な感じだ。
点在する島々。
遠くには船の灯りだろうか、見え隠れしていた。
山田湾を囲む灯り。
静寂、神秘、恐ろしさをも感じる。
湾内には「オランダ島」がある。
織笠駅を過ぎ、陸中山田駅に近づいてから、海は見えない。
この後、本州最東端から西に10kmほど離れたところを通過した。
17時55分、宮古駅に到着。
宮古旅手帳
http://www.kankou385.jp/
バス停のある広場へ出る。
学生たちが何人かの固まりとなって喋っていた。
3番のバス停に向かった。
宮古観光協会の電話で聞いた話では、18時15分発「浄土ヶ浜・鍬ヶ崎」行きに乗り、「まえすか」で降りると、予約している民宿「おおすか」へ行けるとのこと。
バスは電車と違って路線図がないので不安だ。
しばらく一人で待っていると、後ろに買い物帰りと思しきおばちゃんが列んだ。
「すみません。『まえすか』は何番目のバス停になるのでしょうか?」
「はい?」
民宿への道順をメモってある手帳を見せた。
「あっ。私は『まえすか』の手前で降ります」
「そうですか。その次ぎのバス停で降りればいいんですね?」
おばちゃんはこちらをのぞき込むように見て、
「お兄さん。どこから来たの?」
「東京からです」
「『まえすか』へは?」
「あっ。そこの民宿に泊まるんですよ。宮古の観光協会に案内されて…」
バスが到着。
「最初に整理券を取ってね」
「はい」
奥から三番目の席に座った。
おばちゃんは、バスの運転手となにか話をしている。
兎に角、あの人の次ぎに降りればいい。
バスはゆっくりと動き始めた。
行き交う人々のシルエット、商店街の灯り。
大きめのエンジン音。
どこだかサッパリわからないけど、地図をたどる。
バス停でまた何人かが乗り込んだ。
すごく狭い道を入って行くので驚く。
ミラーを電柱に擦らないように注意しながら右折。
エンジン音が高まった。
しばらくすると、右側にたくさんの灯りが現れ、海に映り込んでいた。
宮古港だ。
宮古港
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-406-1658.html
そこから何回か停まった後、おばちゃんが降りた。
バスが発車。
そして次は「まえすか」のアナウンス。
すると「次ぎ停まります」のチャイムが鳴った。
バスが停まった。
見回しても、外はまっ暗。
荷物を持って立ち上がると、
「お客さん。ここで降りるんですよね?」
と、運転手に呼びかけられた。
「え? あっ。はい」
運転手は、もう一人降りようとしていた別のおばちゃんと話をしていた。
わけがわからずその場に立っていると、
「あなた『まえすか』で降りて、どこかの民宿に泊まるんだって?」
そのおばちゃんが話しかけてきた。
「え?」
実は宮古駅で場所を尋ねたおばちゃんが、運転手に私が「まえすか」の民宿に泊まることを話してくれていたのだ。
「どこに泊まるの?」
「えーと、『おおすか』という民宿です」
車内の明かりの下、メモに書いてある民宿名と住所を見せた。
「あら、それなら通り道だよ」
「すみません。時間取らせちゃって。ありがとうございます」
支払い箱にお金を投入し、バスを降りた。
先に降りたおばちゃんが待っていた。
「東京から来たんだって?」
「はい」
途中に停めてあった自転車を引きながら、
「ほら、右が宮古港。あれは秋刀魚漁船かな」
動いている灯りを指した。
歩きながらの会話。
皆、あたたかい。
「そこを曲がったところだよ」
角に「おおすか」の看板が出ていた。
「ありがとうございます」
おばちゃんは自転車にまたがって離れて行った。
そして港に沿った道路から左に入って50mぐらいのところに、民宿を見つけた。
引き戸を開ける。
上がってすぐの畳の広間に一人の男性客がいた。
料理を食べながら、おかみさんと思しき人と話をしている。
「こんばんは」
「あっ、あなたが…。いらっしゃい。お疲れさまでした」
「お世話になります」
「静岡から来たんだって?」
「えっ? あ。東京です」
「あら、そう聞いていたけど…。バイクで来るとも」
「いえいえ、電車とバスで」
どっからそんなことを聞いたんだろうと思いながら、靴を脱いだ。
「さぁ。上がってください」
入り口右の階段から部屋に案内された。
「すぐに食事の支度をしますから」
八畳の部屋に荷物を置き、手と顔を洗って広間に下りる。
あらためて見ると、男性客は外国人だった。
「さぁ。召し上がってください」
料理が運ばれた。
こっ、これはスゴイ!
毛ガニ、刺し盛り(ホタテ、甘エビ、鮪、ハマチ、イカ)、蒸しアワビ、焼き魚はキチジ(キンキ)の一夜干し、つみれイワシの小鍋、モズク酢、海草の煮物などなど…。
こんなにたくさん食べられるのだろうか?
「飲み物はどうします?」
「ビールをください」
喉カラカラ。
「ふ〜ぅ」
最初の一杯は一気に。
ホタテのお刺身から食べ始めた。
斜め向かいに座る外人客は、モクモクと食べていた。
「おかしいなぁ。静岡からのお客さんだと聞いていたけど」
まだ疑問があるようだ…。
「東京はどちらからですか?」と、外国人客。
あまりにも丁寧な日本語なので驚いた。
「葛飾区です」
「あっ、そう。葛飾はどちらからですか?」
「高砂です」
「え? 本当に? 僕は前に金町に住んでいたんですよ」
「ええ? 隣町じゃないですか」
なんとも不思議な巡り合わせだ。
それからはゆっくりと食事をしながら、いろいろな話で旅先での出会いを楽しんだ。
「ビール少しどうですか?」
カナダの西海岸出身で、東北の北を回って、これから南下し帰路に着くとか。
「浄土ヶ浜が綺麗でした」
カニを食べるのに手をベタベタにさせながら、
「明日行こうと思っています。歩いてどれくらいですか?」
「20分くらいかな。そこから船も出ていて、湾内を回れるそうですよ」
へぇ〜、船か…。
それも良い。
そうしよう。
10月11日、朝の5時。
カラスの鳴き声で目が覚めた。
バイクの音や車の音。
港町の朝は早い。
もう少し寝ていたいけど…。
10分が過ぎた。
そうだ、朝日を浴びよう。
気合いを入れて起き上がり、出発の準備。
静かに階段を下り、勘定を払う。
こんなに早く出発するとは思っていなかったようだった。
「早いですね」
「目が覚めちゃったから…。浄土ヶ浜へはどう行くんですか?」
「出たところを左に」
道なりに行けば着くそうだ。
玄関の脇に置いてあった「浄土ヶ浜」の観光MAPをもらって、
「どうも、お世話になりました」
「またいらしてください」
5時45分頃、宿の引き戸を閉めた。
※Googleマップで確認したところ、民宿は津波に流され、更地になっている。
http://goo.gl/maps/JRKC2
宮古港
寒くはないけど絞まった空気。
潮の匂い。
夜にはなにも見えなかった、港の景色。
思ったよりも海に近かった。
網の周りでは4人の漁師が話をしていた。
左へ曲がり、港沿いを行く。
岬らしき山が見えた。
明るくなりつつある空には、秋の雲。
浄土ヶ浜|宮古市
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-422-1382.html
浄土ヶ浜を彷徨う
雲間から朝日が昇る
日本画を見るような美しさ
御台場展望台から屏風岩を望む
中の浜から
満潮時には遊歩道も波を被る
波が形作った造形美
外海
映り込む岩も美しい
出航前のひと時
浄土ヶ浜港の発券所で時刻表を眺めていると、現れた観光遊覧船の船長に、湾内を巡る周遊コースの他に、田老港まで行ける「うみねこ航路 浄土ヶ浜〜田老」コースがあると勧められて予定を変更。
船に乗って海沿いの奇岩を眺めつつ北上することにした。
「龍泉洞は見た?」と船長。
「いえ、まだ」
「あれは見なくちゃ」
予定に組み込む…。
みやこ浄土ヶ浜遊覧船
http://jodo-yuransen.jp/
※東日本大震災の発生から約4か月後の2011年7月16日、船長が守った1隻の遊覧船「第16陸中丸」で運航を再開。
だが、まだ田老港の機能が回復に至らず、浄土ヶ浜〜田老間は止まっているようだ。
現在は浄土ヶ浜周遊コース(浄土ヶ浜一周:40分コース)のみの運行となっている。
第15陸中丸に乗り込み、2階の船尾の円卓に独り腰を下ろした。
8時30分、浄土ヶ浜から田老港へ、海鳥たちに見送られながら、いざ出航!
海鳥に見送られ、岸壁から離れる
外海から見る、浄土ヶ浜
岩壁には海鳥たちの巣がある
途中、何艘かの小舟とすれ違った
日の出島
バウに砕け散る波
田老港に入る
ウミネコのお出迎え
9時10分、田老港に降り立った。
田老港
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-415-1123.html
港から歩くと川があり、そこで数人が鮭を捕まえていた。
http://goo.gl/maps/kvxdo
田老町漁協は、地区内の田老川・摂待川の2河川で、サケの孵化放流事業を行い、毎年4,200万尾の稚魚を放流している。
アワビ、ウニ、ワカメ、コンブの養殖も盛んだ。
JFたろう 田老町漁業協同組合
http://www.masaki-wakame.com/index.html
防潮堤を潜り、町中に入った。
陸側から見た防潮堤
※津波はこの防潮堤を越え、町に破壊をもたらした。
http://goo.gl/maps/yPZqw
岩手県宮古市・田老「万里の長城」は残ったが…|日経BP
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK01023_R00C11A4000000/
田老駅への道がわからず、どこかの十字路の角にある酒屋で尋ねた。
※Googleマップで確認すると、馬場野屋酒店と思われる。
初めての土地で、港から駅への移動に20分しかないのは焦る。
列車の到着時間が迫っていたので、小走りで田老駅へと向った。
国道45号線の山側に線路は走っていた。
Y字路の右側へ入り、駅へ。
三陸鉄道株式会社
http://www.sanrikutetsudou.com/
田老駅
http://www.sanrikutetsudou.com/category/map/eki_tarou
※現在の田老駅。
http://goo.gl/maps/w4zJe
改札はなかった。
階段を上ると、ホームのベンチで女子高生と60〜70代のご夫妻が話をしていた。
「こんにちは…。すみません、切符はどこで?」
「下に売り場がありましたよ」とご主人。
階段を下りて、少し離れたところに切符売り場を見つけた。
再び駆け上った時に、ちょうど列車がホームへ滑り込んだ。
息を弾ませながら、三陸鉄道北リアス線に飛び乗った。
9時33分に発車。
乗客は4人、長閑な雰囲気だった。
時折トンネルに遮られるが、絶えず右手には太平洋を感じていた。
女子校生は翌3月に卒業、上京するそうだ。
なぜこの時間に学校に行くのか聞いたけど、思い出せない…。
(怪我をしていて通院で遅くなった?)
初老のご夫妻は会話の端々に気品が感じられた。
9時45分に小本駅着。
小本駅
http://www.sanrikutetsudou.com/category/map/eki_omoto
3人と別れて、駅舎にあった売店でフィルムを補充した。
バスがすぐにも発車するようだったので(9時54分発)乗り込むと、売店のおばちゃんが追ってきた。
買ったばかりのフィルムを忘れた。
バスは発車を待ってくれた。
国道455号線(小本街道)を走る。
岩泉中学校の所で右折、県道7号線に入った。
座席の振動が心地よく、ウトウトしながら10時25分に日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ着いた。
龍泉洞
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/~ryusendo/
http://goo.gl/maps/nVdJd
龍泉洞の入口
洞内は水流が木霊し、ヒンヤリと湿っぽい。
一巡りするのにどのぐらい時間がかかったろう…。
起伏が激しく、中には身体一つ入るのがやっとの透き間もあり、圧迫感と息苦しさを感じた。
だが、穴から這い出た後の開放感は格別だった。
胡桃餅と、鮎の塩焼きで遅い朝ご飯
12時18分、バスで小本駅へ戻った。
※当時のメモ帳には「駅のまわりのイチョウも黄色くなりかけている まだら黄色」と記されてある。
12時28分発、久慈行きの三陸鉄道に乗り、そこからはトンネルがいくつも続く。
鍾乳洞探検後の気怠さで微睡みつつ、送られた。
小本駅ホーム
橋の上で鳶とランデブー
※撮影場所は安家川橋梁。
http://goo.gl/maps/2vfwh
20090411三陸鉄道車窓1-安家川橋梁
http://youtu.be/QWGCXGGr_gM
久慈駅ホームにて
13時22分、北リアス線の終点、久慈駅に到着した。
久慈駅
http://www.sanrikutetsudou.com/category/map/eki_kuji
途中、堀内駅を過ぎたどこかの橋の手前で、列車が一度停止した。
運転席の後ろから前を見ると、数羽の大きな鳥が線路に留まり、橋を占拠していた。
汽笛を鳴らすと、鳥たちが飛び退いた。
「さっきの鳥は、鷲ですか?」
降りる時に、そのことを運転手に尋ねてみた。
「鳶です。橋の上から鮭を狙っているんですよ」
JR八戸線、八戸行きの出発時刻には、
①13時27分(15時20分着)
②14時45分(16時35分着)
③16時40分(18時37分着)
3つの選択肢があったが、八戸市街で一杯やるには3番目がいいと思い、久慈で時間を潰すことにした。
きてきて久慈市
http://kujicity.com/
久慈駅西口から国道281号線の商店街を、当て所なく歩く…。
朝から龍泉洞の売店で胡桃餅と鮎の塩焼きしか食べていなかったので、小腹も空いた。
徘徊しながら飯屋を物色。
八日町の辺りで引き返し、駅前に活路を見出そうと戻った。
※当時のメモ帳には「14時にいっぷく亭でいっぷく」と記されてある。
「おにぎりと味噌汁、豆腐とミョウガ、お新香に菊のお浸し、鳥の唐揚げがついていた」とも。
菊のお浸しの黄色が印象に残っている。
いっぷく亭|行って知って得するいわて
http://www.chiikeys.jp/kikaku/ist_iwate/0710/3page/index.html
お店のおばちゃんたちに出立(16時40分)までの時間で巡れる久慈の見所を尋ねたら、「琥珀博物館」と「小久慈焼き」を紹介された…。
久慈駅前に停まっていたタクシーに乗り、まずは琥珀博物館へ。
久慈市は日本最大の琥珀産出地であるばかりではなく、バルト海沿岸北部やドミニカ共和国と並ぶ世界的な琥珀の産地なのだ。
琥珀博物館 久慈琥珀
http://www.kuji.co.jp/museum/
久慈琥珀博物館
琥珀採掘跡。コウモリがいて腰を抜かした
その後14時40分、小久慈焼きの窯元へ向かった。
母と同じぐらいの年齢の体験者がいて、土を捏ねながら会話をした。
何を話したのかは憶えていない…。
その人とタクシーの運転手が知り合いだった。
タクシーを待たせておくのも申し訳ないので、帰りに迎えに来てもらうことにした。
手解きを受けつつ、初陶芸を1時間半で何とか仕上げた。
小久慈焼きの窯元で陶芸初体験
窯
他の体験者の作品
私の作品。上手く焼けるかな?
小久慈焼き
http://www.ginga.or.jp/~kokuji/
東京の住所を書いて、焼き上がりを届けてもらうよう手配した。
16時20分に駅に戻る。
日は傾きつつあった。
駆け足で巡りつつも、実に濃密な旅だった。
JR八戸線に乗って、久慈を後にした。
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