最後の投稿から随分と月日が経過した…。
2015年11月9日。
紅葉の名所で会津松平家の藩祖、保科正之公が祀られる土津神社へ出かけることにした。
天気が良ければ、源義家との縁が深い新宮熊野神社へも、足を延ばすつもりでいた。
8時30分頃、伊達を出立。
飯坂温泉街経由でフルーツライン(県道5号線)を行き、途中を右折、信号機の少ない広域農道を走る。
土湯の峠道は、旧道の紅葉を眺めながら登ることにする。
梨黄葉越しの吾妻連峰。
小富士の袴が微かに見える…。
国道115号線に出、土湯温泉の入り口を抜けた所で左折、県道30号線(旧国道115号線)に入り、旧土湯街道を登る。
かつては観光道路であった旧土湯街道に、車の影なし。
ほとんどの車は土湯バイパス(現国道115号線)を通る。
所々で落葉が吹き溜まりとなって、アスファルトを覆い隠していた。
旧土湯街道の途中にある「びっき沼」。
びっきとは地元の方言で蛙のこと。
モリアオガエルの生息地になっている。
「びっき山」は丸ごと「空cafe」!五感で味わう福島の本当の魅力!
http://guide.travel.co.jp/article/13424/
上の方はすっかり落葉し、福島盆地が見渡せる。
彩は信夫山に移ったようだった…。
土湯トンネルを抜けると時雨模様。
磐梯山は雲に覆われていた。
猪苗代町の山々は色彩のモザイクと化している…。
10時10分、土津神社に到着。
時雨は収まり、明るい曇り空。
土津神社
http://www.bandaisan.or.jp/enjoy/
名君 保科正之公の大河ドラマをつくる会
http://takato-inacity.jp/
すでに境内には、落葉を惜しんで集まった観光客の姿があった。
会津松平家の藩祖、保科正之公が祀られる土津神社。
本殿に参拝をする。
本殿の右手から石敷きの道を奥へ向かうと、保科正之公の墳墓に通じている。
墳墓にも参拝し、もと来た道を戻った。
息を飲む鮮やかさであった。
10時45分、土津神社を後にする。
天気も保ちそうなので県道7号線を通って次の目的地、喜多方を目指すことにした。
県道7号線を西へ行くと磐梯町に入る。
11時5分、県道7号線沿いにある道の駅「ばんだい」(地図上B)で小休止。
http://www.michinoekibandai.com
再び県道7号線を西へ行く。
喜多方市街を抜け、県道61号線をさらに西へ。
阿賀川に注ぐ、濁川を渡った。
そして11時35分、新宮熊野神社に到着。
新宮熊野神社と長床
http://www.kitakata-kanko.jp/category/detail.php?id=60
熊野神社長床|国指定文化財等データベース
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
長床とは修驗道(山伏)で用いる言葉で用途は拝殿とほゞ同じである。この長床は鎌倉時代のもので、慶長十六年(一六一一)の地震に破損したので大改造が加えられているが、旧材はよく残されている。大きな建物である。
(データベース解説文引用)
境内には樹齢600年と言われる大銀杏がそびえ立ち、国指定重要文化財である拝殿「長床」が横たわる。
【新宮熊野神社の由来】
新宮熊野神社は、社伝「新宮雑葉記(しんぐうざつようき)」によれば、源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が天喜(てんぎ)3年(1055)「前九年の役」で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀州熊野から、熊野堂村(現河沼郡河東町)に勧請創建(かんじょうそうけん)したのが始まりと伝えられています。
その後、「後三年の役」(1083〜1087)で再びこの地を訪れた源義家は、新宮の地に移すように命じ、造営は応徳(おうとく)2年(1085)に始まり、寛治(かんじ)3年(1089)に完成遷座し現在に至っています。
(「新宮熊野神社長床」パンフレットより一部引用)
大銀杏は今にも零れ落ちそう…。
葉が散って、一面に黄金色が敷き詰められる様子を想像した。
国重要美術品に指定される銅鐘。
貞和5年(1349)の銘があり、福島県内では最も古い銅鐘だ。
長床は、当初拝殿として建てられたようですが、その建立年次は不明です。解体調査によれば、形式・技法等から平安末期の建立と見られ、少なくとも鎌倉初期は下らないものです。
寛治3年(1089年)の建立とすると、時代的に見て東北地方では長床が一番古く、35年後の1124年に平泉の中尊寺金色堂(こんじきどう)が建てられ、続いて1160年に白水(しらみず)の阿弥陀堂(あみだどう)が建てられております。
長床は、長大な規模と木太(きぶと)い柱の配列が特徴です。直径1尺5寸(45.4cm)の円柱44本が10尺(303cm)の等間隔に5列に並び、各柱上には平三斗(ひらみつど)の組物が置かれ、中備(なかぞなえ)には間斗束(けんとづか)が用いられています。また、庇(ひさし)の天井は化粧垂木(だるき)が美しく並べられ、身舎の天井は格天井(ごうてんじょう)となり、大きな上長押(なげし)と下長押が取り付けられています。四方が吹き抜けのため、内部に林立する太い柱が見通され、いかにも古風でまさしく平安期の荘厳な趣を今に伝えてくれます。
(「新宮熊野神社長床」パンフレットより一部引用)
長床の奥にある階段を上ると、熊野三社がある。
12時5分、新宮熊野神社を後にした。
土津神社と新宮熊野神社の紅葉は、「極上の会津プロジェクト協議会」のFACEBOOKアルバムでも見ることができる。
極上の会津プロジェクト事業で活用させていただく観光PR画像の応募作品です。良い作品には「いいね」ボタンで評価しましょう! 応募詳細はこちらです。http://gokujo-aizu.com/photos
Posted by 極上の会津プロジェクト協議会 on 2015年11月9日
喜多方市街を抜けて、国道121号線を米沢経由で伊達に戻る。
途中、喜多方市熱塩加納にある「ひめさゆり浪漫館」(地図上B)で、天ざるそば。
新そばを手繰る…。
天ぷらは、海老、さつまいも、春菊、さやいんげん、ピーマン、かぼちゃ。
これで1,100円は安いと思う。
「喜多方ふるさと振興株式会社」が管理する「ひめさゆり浪漫館」内の食堂は、WEB情報は少ないけど手打ちそばが旨く、喜多方を訪れた際にはよく利用する。
見納めギリギリの名所訪問であった。
各所で庭木の雪囲いや、道路脇のポール立て等、冬仕度が進んでいた。
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