時は戻って、2013年11月2日。
福島盆地の東方に鎮座する霊峰・霊山。
その秋色の峰を歩いた。
新・日本百名山 霊山を登る|だてめがね
http://www.date-shi.jp/post-281.html
伊達(旧伊達町)からは東へ…。
国道399号線で保原に出、国道349号線を南東に下ると、霊山掛田で国道115号線と交わる。
左折して115号線を相馬方面へ行き、県道31号線に当たったら左折、「りょうぜん紅彩館」に入る。
登山道は、その上の駐車場から始まっている。
りょうぜん紅彩館
http://kodomo-ryozen.org/kousaikan/
7時45分。
国道399号線、阿武隈川に架かる伊達橋を渡った。
保原を抜け、国道349号線を走る。
霊山柱沢地区は柿が名産。
霊山の頂が迫ってくる…。
8時26分、麓の駐車場に到着。
すでに満車に近かった。
8時37分。
準備を整え、いざハイキングへGO!
先達に習って、階段をよじ登る…。
宝寿台からの眺望。
素晴らしい…。
酔って階段から飛び降り、踵を骨折したことがある私には、下りる時の方が恐い。
見下し岩からの眺望。
カメムシの死骸に蟻が集っていた。
中央に吾妻連峰が見える。
左の尖った山から高山、東吾妻山、吾妻小富士、一切経山。
その右が西吾妻山だろうか…。
それら峰々の下が福島市街。
右端に信夫山。
左端には安達太良連峰。
ここから崖沿いを進む…。
修験者たちも歩いた道。
護摩壇からの眺望。
眼下には阿武隈山系の峰々が横たわる。
10時5分、国司館跡に到着した。
母校の校章にも使われる「りんどう」が咲いていた。
周辺には国司館跡の基礎石が残っていた。
10時10分、霊山城跡に出た。
持参のポットでコーヒーを入れて一休み…。
他のハイカーたちも、それぞれに足を休めていた。
ミメアカタテハも羽根を休める。
虫の写真図鑑 Cyber昆虫図鑑
http://www.insects.jp/kon-tyohimeaka.htm
霊山(りょうぜん)は貞観元年(八五九)、比叡山延暦寺の座主円仁(慈覚大師)によって開山されたといわれ、釈迦が修行したというインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に因み霊山と命名され、山号を南岳山山王院霊山寺と称した。往時は伊達・宇多・刈田を寺領とし、南奥における宗教・文化の中心地として栄えた。
下つて延元二年(一三三七)正月、陸奥守北畠顕家は後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて霊山に拠り、南朝再興を策してここに国府を開いたが、貞和三年(一三四七)北朝方の勢力に抗しきれずついに落城し、山中の堂宇はことごとく消失した。今霊山山中には数多くの遺跡群が埋れており、往時の栄華を今に伝えている。
このような悠久の歴史を秘め、四季折々に山容を変える霊山は、玄武岩質の火山角礫岩によって構成されており、長い年月にわたる風化浸食作用によって出来た奇岩怪岩と、岩間に映える新緑、紅葉はすばらしく天下の景勝地として広く知られているところである。
(「史跡及び名勝霊山」案内板より引用)
10時27分、霊山城跡を立つ。
これより霊山最高峰へ向かう…。
10時36分、海抜825mの頂に登頂した。
晴れた日には、頂上からは太平洋を見ることができる。
この日は霞んで見えなかった。
右に見えるのは相馬市にある玉野溜池。
10時40分、下山開始。
一帯が史跡に指定されている霊山は、文部科学省の管轄である。
岩肌に無数の穴が開く、弘法突貫岩。
日暮岩より。
紅葉が見頃の霊山ハイキングであった。
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