【 福 島 の 風 光 】
 郷里である伊達市(旧伊達町)を中心に、風光明媚な福島を紹介します。
伊達市は福島県中通り、県北に位置し、海に山に車で一時間程のロケーション。
吾妻連峰、相馬、会津、宮城県南部、山形県南部が行動範囲。
訪れた地域の食や伝統文化、郷土史にも触れられたらと思います。

2013年10月23日水曜日

【第一回】浄土平・蓬莱山ハイキング




 はじめに。




 私の郷里である、伊達市周辺での写真を残そうと立ち上げたブログである。

 伊達市
 http://www.city.date.fukushima.jp/


 現在、東京都葛飾区を住処としているため、帰省できるのは年に二、三回程度。(追記:2015年4月25日より伊達市に移住)
 限られているからこそ、彼の地への愛おしさが募る。




 ここで少し、伊達との縁を記しておきたい。


 東京都葛飾区高砂で生まれ育った私は、盆と正月に両親の郷里である福島県伊達郡伊達町(現伊達市)に連れられ、JR伊達駅から伊達製鋼所が鎮座する、駅前の家々を抜け、田んぼの中の一本道の先に四本のポプラの木が並ぶ祖父母の家を訪れるのを楽しみにしていた。

 JR伊達駅
 https://ja.wikipedia.org/wiki/伊達駅

 伊達製鋼所
 http://www.m-meehanite.co.jp/contents02_03.html


 冬と夏。
 都会にはない、素朴だけれど心ときめく遊びがあった。
 上野駅から特急「はつかり」に乗れることも、友だちに対してプチ旅行的な虚栄心を満たす。

 特急「はつかり」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%8A_(%E5%88%97%E8%BB%8A)


 ところがその後、父が海外に数年間単身赴任することになり、東京に母と幼い兄弟だけでは心細いことが理由だったのか、小学三年生の二学期が終わって伊達に移り住むことになろうとは夢にも思わなかった。
 幼馴染みと引き離されることに不満を持つ私を説得するために、二年ぐらいで葛飾には戻るという説明だった。

 しかし、月日は流れ、二年が過ぎても戻る気配はなかった。
 それどころか、突如として家を建てる計画が持ち上がり、祖父母の土地に今の実家が現れたのだ。

 伊達で新たな遊び友だちもでき、環境にも馴染んでいた私ではあった。
 が、釈然としないものが燻っていたのも確かだった。

 とはいえ、高校を卒業するまでの多感な十年を、伊達で過ごすことになったのである。




 伊達を離れて幾年月。
 東日本大震災による地震と津波、福島第一原発事故と、一連の危機を目の当たりにし、郷里への想いが膨らんで止まない己を知る。

 幸いなことに、各調査結果から福島県内の住民に対して、放射線の低線量被ばくによる健康被害が及ぶ可能性は、相当に低いことが明らかになってきた。


 ドクタービジット 放射線、正しい知識が味方
 http://apital.asahi.com/feature/drvisit/2012112100012.html


 平均的な日本人の年間被曝量は約6ミリシーベルトです。自然被曝の2ミリシーベルト以外に、病院の検査で4ミリシーベルトを浴びます。いつでもどこでもいい医療を受けられる日本は、病院での被曝量が世界一多いけれど、世界で最も長生きの国になりました。
 福島県民の外部被曝量を調べた最新のデータによると、住民の99%が10ミリシーベルト未満で、6割の人は1ミリシーベルト以下。現在の福島は、世界的に見ると決して被曝量が高いわけでありません。
 世界の専門家が慎重に検討を重ねた結果、年間10ミリシーベルト以下の被曝なら、子どもでもがんになる危険性は増えないと考えていいということになった。大人なら20ミリシーベルトまでは安心していい。逆に100ミリシーベルトを超えると危険ということもわかった。
 原発事故があったチェルノブイリでは、子どもの甲状腺がんが増えた。「放射線を出すヨウ素」の影響を受けたからです。一方、日本では、あまり取り込まれなかったというデータがあります。海藻を食べるので体の中のヨウ素が足りていたからだと考えられる。だから、福島の子どもたちに甲状腺がんが増えることはないでしょう。

 (一部引用。下線は筆者記)


 もちろん、今後も継続して、放射線測定や健康管理に留意していく必要はあるだろう。
 その分野では、住民と専門家と行政とが、しっかりと手を携えて取り組んでいただきたい。

 そして、私に何ができるのかを考えた時、これまでイザ!ブログ「平凡な食卓での会話」(イザ!ブログサービスは2014年3月で終了予定)で紹介してきた伊達市周辺の写真を中心に、未掲載のものを加えて、愚考を交えながらこちらのブログ「福島の風光」にまとめることだった。
 様々な事情で福島から離れ、福島を想う方々に、ご覧になっていただけたら幸甚に思う。




 さて…。
 前置きが長くなったが、第一回目は吾妻連峰、浄土平・蓬莱山ハイキングでの風光を紹介。

 パソコン内を探ってみたら、2006年8月21日に父が収穫したトマトが、画像データとして残る、伊達の最古の写真であった。
 当時はまだ写メールで撮っており、小さくて画質も粗い…。
 まぁ、臨場感が伝われば、と思う。




 2006年8月25日。
 さぁ、朝食に昨夜の残りのカレーライスを食べて、吾妻山に出立。




 ※当時は、伊達から飯坂温泉街経由でフルーツラインを走り、高湯街道に出ていた。(2015年11月23日追記)


 浄土平・吾妻山[磐梯朝日国立公園]
 http://www.bes.or.jp/joudo/




 一切峡山、標高1,948.8m。




 浄土平の湿地帯から、正面の山、蓬莱山を目指す。
 その裏側にある鎌沼周回コースを、ハイキング好きな山ガール?
 母に案内されて歩く。




 振り向くと吾妻小富士、1,707m。




 蓬莱山1802m。




 標高が増すにつれ、吾妻小富士の噴火口がのぞきこめる。




 前大巓、1,911mの頂が見える。




 姥ヶ原を経由して、鎌沼に到着。
 正面に前大巓を眺めながら、玉嶋屋の「玉羊羹」を食べて、ホッとひと息。

 玉嶋屋
 http://tamasimaya.com/index.php?id=7




 鎌沼の水面に青空が映える。

 [浄土平・吾妻山]スタッフブログ|9/9、鎌沼〜谷地平へ
 http://www.bes.or.jp/joudo/blog/detail.html?id=3962




 酸ヶ平の木道を進む。
 一月経てば、もう秋が降りてくる。








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