【 福 島 の 風 光 】
 郷里である伊達市(旧伊達町)を中心に、風光明媚な福島を紹介します。
伊達市は福島県中通り、県北に位置し、海に山に車で一時間程のロケーション。
吾妻連峰、相馬、会津、宮城県南部、山形県南部が行動範囲。
訪れた地域の食や伝統文化、郷土史にも触れられたらと思います。

2013年10月27日日曜日

【第十七回】会津街道(二本松街道)
 猪苗代湖・天神浜のしぶき氷



 「福島の風光」を記すにあたって、記憶を遡るのと同時に、福島の各地について調べるようになった。
 当初は、私が過去に撮った写真を使い、その説明を記すぐらいの内容で、簡単に考えていた。
 が、今は、忘れていたり、知らなかった自然や歴史、文化、風土に惹かれている。
 更新は楽しいけれど、大変な作業になりつつある。

 地元の方でお気づきの点ございましたら、お知らせください。


 2008年1月31日。

 猪苗代湖に「しぶき氷」という自然の造形美が現れると聞いて、出かけることにした。

 伊達から猪苗代湖に行くには、二通りある。
 国道115号線で安達太良連峰を東西に貫通する箕輪トンネルを抜けて猪苗代町に入るコース。
 国道4号線から会津街道(会津側からは二本松街道とも呼ばれる)を辿るコース。
 しぶき氷が見られる猪苗代湖の天神浜は、猪苗代町の中心部までは行かない。
 峠の雪道を走らなくて済むので、会津街道を行くことにした…。



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 旧伊達町から国道4号線を南下し、福島市を出ると二本松市に入る。
 安達太良連峰の裾野が広がる安達地区には、「安達ヶ原の鬼婆」伝説が残る。
 幼少の頃、亡き祖母に話聞かされ、怖がったものだ…。

 [日本の民話・妖怪 語りおろし]安達ヶ原の鬼婆
 http://www.rg-youkai.com/tales/ja/07_fukusima/01_adachigahara.html


 二本松市には日本100名城のひとつ、二本松城(霞ヶ城とも呼ばれる)がある。
 室町時代からこの地を治めていた、畠山氏7代当主・二本松満泰が築城。

 戦国時代、15代当主・二本松義継は伊達政宗と争う。
 その父・輝宗を拉致しようとしたが、政宗によって輝宗もろとも射殺された。
 この「粟之巣の変事」には、輝宗が義継によって刺殺された後、義継も割腹して果てたとの説もある。
 輝宗の亡骸は福島市の慈徳寺で荼毘に付されたと伝えられる。

 【第十回】二つの桜、慈徳寺と秋山
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2013/10/blog-post_8712.html


 正宗によって二本松氏は滅ぼされ、二本松城は伊達氏の支配下に置かれた。
 伊達政宗が、豊臣秀吉によって岩出山城に移封された後には、若松城主・蒲生氏郷の支城となる。
 蒲生氏に代わり上杉景勝が会津に入ると、上杉氏の支城にもなり、その後も目まぐるしく城主が変わった。
 そして白河小峰城より丹羽長秀の孫・光重が入城して後は、明治維新まで丹羽氏の居城となった。

 二本松藩は1868年(慶応4年)の戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦った。
 攻城戦の際、城の建物の多くを焼失している。

 二本松観光協会/県立霞ヶ城公園
 http://www.nihonmatsu-kanko.jp/kasumigazyo.html


 二本松城跡(県立霞ヶ城公園)は毎年秋、「二本松の菊人形」まつりで賑わう。
 菊造りを趣味としていた祖父に連れられ、幼少の頃に訪れたことがあるような、ないような…。
 もしかしたら小学校の遠足だったかも知れないが、菊人形と石垣の記憶が微かに残っている。

 第58回「二本松の菊人形」
 http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/site/kankou/526.html


 また、当地の酒に「大七」がある。

 大七酒造
 http://www.daishichi.com/


 旧伊達町の北には松原山(伊達郡桑折町松原地区)と呼ばれる小山がある。
 山肌にはかつて「酒は大七」の大看板が掲げられていた。
 祖父母の家に遊びに行く際に、JR東北本線の車窓からその看板がよく見えたのを覚えている。
 「酒は大七、うまさは第一」のキャッチコピーでTVCMが流れていたのも記憶に残る。


 国道4号線をさらに南下、本宮(本宮宿)市街を抜ける。



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 本宮市には、国道4号線とJR東北本線に挟まるようにアサヒビール福島工場が建つ。
 東北新幹線開業以前は上野駅〜福島駅間は特急「やまびこ」「はつかり」で往来していた。
 車窓から工場の建物にアサヒビールの名を見ると、福島駅が近づいていると感じたものだった。
 東北新幹線は2kmほど東に外れて走る。

 アサヒビール福島工場
 http://www.asahibeer.co.jp/brewery/fukushima/


 本宮は交通の要衝、物資の集積地で、早くから東北本線本宮駅があった。

 千円札でお馴染みの野口英世博士は1876年(明治9年)、三ツ和村(現猪苗代町)に生まれた。
 医師試験で1896年(明治29年)上京する際、会津街道を歩き、本宮駅で鉄道に乗ったとの記録が残る。

 野口英世博士の生涯
 http://www.noguchihideyo.or.jp/lifetime/


 東北自動車道本宮I.C.の手前に、会津街道入口と表記された信号機がある。
 その十字路を右折し、西に行く道路が県道8号線、会津街道となる。
 (Google Map上は越後街道となっていて紛らわしい)

 歴史街道を歩く 二本松街道
 http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/09_12/07kaidou/index.html


 会津街道を西へと走り、途中、熊野神社を過ぎて五百川を渡って郡山市に入る。
 JR磐越西線、温泉街の磐梯熱海駅近くを抜けて踏切を渡った。
 しばらくは、鉄道と併走する。

 磐梯熱海温泉
 http://www.bandaiatami.or.jp/


 会津街道に沿って、五百川が流れている。
 五百川上流部は、猪苗代湖を水源とする「安積疏水」の水路としても利用されている。

 郡山市西側はかつて安積原野と呼ばれ、水利が悪い不毛の地であった。
 安積疎水の開削は、その安積原野に、奥羽山脈を貫通させて猪苗代湖の水を引いた大事業。
 明治12年から始まった、国直轄の農業水利事業の第一号である。

 近代日本の疏水技術の先駆け「安積疏水」
 http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=11800


 郡山市は、安積疎水事業によって、日本有数の稲作地帯となった。
 また、猪苗代湖と安積疎水の標高差を利用した水力発電は、紡績・繊維産業の発展にも貢献。
 福島県中通りの小学校に通うと、郷土史として「安積疏水」については学ぶと思う…。


 二渡地区で国道49号線にぶつかり、左折。
 そのまま国道49号線を奥羽山脈の山々の間を縫うように走った。


 11時頃、猪苗代湖畔に到着した。





 夏場は海水浴やボート遊びで賑わう志田浜には、白鳥など水鳥たちの足跡だけが残されていた。

 猪苗代観光協会 湖水浴
 http://www.bandaisan.or.jp/enjoy/beach/


 そこから車で約10分、国道49号線金曲バイパスから左折し、「しぶき氷」が見られる湖畔へと向かう。
 日本三大天満宮のひとつに数えられる「小平潟天満宮」があることから、天神浜と呼ばれている。

 天神浜観光組合 〜猪苗代湖の湖畔より〜
 http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/nakakomatu2000



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 天神浜駐車場に車を止めて、浜へと歩く。
 帽子を押さえながら浜に出、湖畔を南へ。
 林道の中を1kmほど歩いたところに「しぶき氷」があった。





 「しぶき氷」とは、強い寒風が湖水を波立て、波しぶきが草木に氷着し、成長したもの。
 国内では極めて珍しい現象といわれ、猪苗代湖の真冬の風物詩である。





 大きくなると2mを超える氷も現れる。
 決して同じ形にはならない、まさに自然の造形美。










 風が強く、雲の動きも速い。
 もう少し歩けば、もっと成長した氷が見られたかも知れない…。





 晴れていれば、磐梯山が見える方向。

 しかし、あまりの寒さに縮上がり、すぐに撤収した。
 天神浜にはストーブを備えた小屋があり、しばしそこで暖を取った。





 天神浜からの帰りに、山菜蕎麦を食べた。
 国道49号線沿いだったと思うけど、どこの蕎麦屋かは思い出せない…。
 蕎麦湯と蕎麦茶をたっぷりと飲んで、胃袋から温まった。




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