4月25日で1年が経つ…。
伊達移住の日は、記録として記しておきたい。
2015年4月25日土曜日。
住み慣れた葛飾区新宿の住処から、伊達への引越し。
11時頃、赤帽が来て荷物を搬出した後、伯母に挨拶を済ませてから、新幹線で向かう手筈になっていた。
さて、そろそろPCをシャットダウンします。^^
— Toshiaki Ono (@onotoshiaki) 2015年4月25日
葛飾からの投稿はこれにて最後。
次は伊達から、宜しくお願いします。 pic.twitter.com/g5x6nVi8HH
JR東京駅から、13時36分発、やまびこ53号盛岡行に乗車。
帰省の度に、何度も行き来した路線だ…。
【第四十七回】JR東北新幹線 東京駅から福島駅
http://onotoshiaki.blogspot.jp/2014/08/jr.html
15時16分、福島駅着。
伊達に着くと、ちょうど赤帽も到着したところだった。
荷物を運び入れて、ようやく落ち着く。
桃畑が迎えてくれていた…。
翌4月26日、日曜日、朝の散歩。
リンゴの花が盛りであった。
野鳥のさえずりがそこら中で響いている…。
朝餉にカレーを食べてキレンジャー。
荷物の整理の目処がついて、15時頃、気晴らしに散歩に出かけることにした。
桑折町にある常称寺の枝垂れ桜に間に合うかも知れないと、徒歩で向かった。
最寄の鉄道が、京成電鉄からJR東北本線へと変わった…。
踏切(「伊達〜常称寺散歩」地図A)で仙台行を待つ。
左奥に見えるホームが伊達駅である。
山の上の方まで芽吹き始め、山桜の色と混じって全体が白っぽく見える。
西根下堰(「伊達〜常称寺散歩」地図B)。
西根上堰と下堰の間に建設予定の復興支援道路(相馬〜福島)。
この先で東北自動車道と接続する。
一般国道115号 相馬福島道路|国土交通省 東北地方整備局 磐城国道事務所
http://www.thr.mlit.go.jp/iwaki/hukkoudouro/route_115/souma_fukushima.html
左にあるコブのような山は、福島市の信夫山。
空に溶け込むように中央に安達太良連峰、その右に吾妻連峰の山々が並ぶ。
東北新幹線の高架橋。
左が仙台、右が東京。
遠く霊山の峰が横たわる。
西根上堰(「伊達〜常称寺散歩」地図C)。
この辺りは桑折町睦合地区。
西根堰は、関ヶ原の合戦で西軍に与したかどで徳川家康によって越後・会津等の所領120万石を召し上げられ、置賜・信夫・伊達の3郡からなる30万石の出羽米沢藩主へと減移封の処分を受けた上杉氏が、新田開発による石高増の必要に迫られ、肥沃ではあったが水の弁が悪かった伊達・西根郷に水田用水を確保するために大利水工事を行って築いた堰である。
西根堰|飯坂温泉オフィシャルサイト
http://www.iizaka.com/join/join04/
西根堰の開削に尽力した佐藤新右衛門と古河善兵衛は、福島市飯坂町湯湯野の西根神社に祀られている。
【第四十五回】初詣 西根神社と中野不動尊、そして三日とろろ
http://onotoshiaki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_15.html
木立のいたるところで、山吹が咲いていた。
道に迷った…。
桃畑で作業をしていたオバちゃんに、常称寺への行き方を尋ねた。
「この坂を下ると高速道路にぶつかるので、高速道路の下は潜らず、左に戻るように坂を登る」とのことだった。
カメラを持っているのを見て、「桜を撮りに行くの?」と聞かれ、しばし立ち話。
車で走ると雑作のないような坂道だけど、前につんのめるようにして登って行く…。
16時19分、ようやく常称寺(「伊達〜常称寺散歩」地図F)にたどり着いた。
枝垂れ桜に間に合った…。^^
満開の枝垂れ桜は【第六十五回】に記している。
【第六十五回】常称寺の枝垂れ桜再び、目覚め始めた山の花々
http://onotoshiaki.blogspot.jp/2016/04/blog-post_9.html
帰りに、すぐ近くにある伊達氏所縁の西山城跡(「伊達〜常称寺散歩」地図G)にも立ち寄った。
桑折西山城跡|桑折町ウェブサイト
http://www.town.koori.fukushima.jp/site/kankou/nishiyamajo.html
桑折西山城跡|文化庁 国指定文化財等データベース
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
伊達郡は戦国大名伊達氏の名字の地である。桑折西山城跡は、この伊達氏の居城跡であり伊達郡桑折町の西方標高193メートルの[[高館山]たかだてやま]を中心に位置している。
宝暦11年(1761)御巡見使案内記等が西山城について「仙台御先祖常陸(念西)入道居館之由」と記しているように、この城は文治5年(1189)奥州合戦の功により伊達郡を拝領した中村(伊達)念西の居館跡として伝承されてきたものである。応永7年(1400)から9年(1402)にかけて上杉禅秀の攻撃を伊達大膳大夫政宗がしのいだと『余目氏旧記』『鎌倉大草紙』に記される「赤館」もこの西山城を指すと考えられている。(『伊達正統世次考』、『伊達勤王事歴』)。
(一部引用)
伊達郡を一望。
西舘跡入口(「伊達〜常称寺散歩」地図H)から少しだけ入ってみる…。
林の斜面に山吹が光る(「伊達〜常称寺散歩」地図I)。
一人で来るにはちと寂しい…。
16時45分、さっきよりも影が伸びている。
西の山に日が隠れようとしていたので、撤収することにした。
聖光学院高等学校の野球場(「伊達〜常称寺散歩」地図J)が移っていた(桑折町)。
昔は校舎(伊達市)の側にあったのだけれど、そこは宅地になった。
校庭の片隅に、ジェット機が展示されていたのが記憶に残る…。
聖光学院高等学校
http://www.seikogakuin.jp/index.php
東京へ向かう新幹線。
これにて伊達移住1日目の散歩は終了。
まだこの地で暮らす実感は湧かなかった…。
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